今回は、バッドマナーの代表格である「暴言」「死体撃ち」「途中抜け」が如何に愚かな行為であるかの認識を深め、ゲームに向かう時の理想の「心の持ちよう」を考察してみた。
はじめに
「esports」や「ストリーマー」などゲームを使った職業が登場し、多くの著名人などがゲームに触れる様子もよく目にする。
やっと光が当たり、ゲームの良さが世間に伝わり始めているのかもしれない。
だが光り輝くほど、影は濃さを増す。
特にオンラインゲームにおいて、ゲームマナーの悪さが表に出ているのもまた事実だ。
それこそがゲームが陰湿なイメージを拭えない最大の理由である。
大抵の場合、バッドマナーの増加はタイトルの民度の悪化に繋がる。
民度が悪いと評判になっているタイトルに、わざわざ近寄る新規プレイヤーは少ないので、最後には過疎が待っている。そしてタイトルの終了。つまり、自ら自分の居場所を壊しているのだ。
今回は、バッドマナーの代表格である「暴言」「死体撃ち」「途中抜け」が如何に愚かな行為であるかの認識を深め、ゲームに向かう時の理想の「心の持ちよう」を考察してみた。
暴言
君はそこまで上手なのかな?
最も悪質なのは、下手な仲間に対してほんの少しだけ腕がたつプレイヤーがチャットやボイスチャットで罵声を浴びせることだ。
上手ければ下手な人に暴言を言っていいのだろうか?文句を言えばその人は上手くなるのだろうか?自分には下手な時期はなかったのだろうか?
暴言には一切の道理はなく、他者に多大な不快感を与える行為なのだ。また、こうした他者の下手さに暴言を吐くということは、結局は他者のプレイに勝利を依存しているのだ。真の強者であるあらば、他者が下手であるとか関係なく勝利を導く力を持っているはずだろう。それが出来ないのならば、自分の不甲斐なさを恥じる方が先だ。
そして、彼らはこうも言うだろう。「自分はそういった環境で鍛錬を積んできた」と。確かにそれは素晴らしい上昇意欲であり、その努力は賞賛に値するものだろう。
だが「あの時の自分は頑張ったのだから、お前達もそうしろ」という言動は、我々が忌み嫌う「老害」の口癖そのものではないのか?
暴言とパフォーマンス
暴言はチームのパフォーマンスを大きく落とすという話がある。
上記の記事でも言及されている様に、暴言は、吐かれた人は勿論、その場に居合わせた人のパフォーマンスも大きく下げることが分かる。
- 直接暴言を吐かれた人は、処理能力が61%、創造性が58%下がる。
- 自分に対してではないが、自分の所属しているグループに対して暴言を吐かれた人は、処理能力が33%、創造性が39%下がる。
3人の場合(Apex Legendsなど)
4人の場合(PUBGなど)
5人の場合(LoLやVALORANTなど)
基本的に暴言者が仲間にいる場合、1人いない状態で戦っているのと変わらない状態なのだ。(寧ろそれよりも酷い)
下手な人間よりも不要な存在なのだ。
結論
そしてよく考えて欲しい。人は誰しも得意不得意があるものではないか?
ゲームが得意な人間であっても、その他の点では必ず不得意な部分は存在しているものだ。不得意な点を如何に見逃されてきたか、如何に優しくされてきたことだろうか?そんな自分は他人の不得意を責める。傲岸不遜極まりない。
またもし、自分の不得意をかつてこっぴどく咎められた経験があって、その上でやっているのならば全く救いようがない。自分が辛い経験をしたなら他者もするべきだという発想は、愚の骨頂である。
最後に、野良で入って暴言を吐いている人間は、他者に暴言を吐く前に自分のことをよく顧みることをおすすめする。勝利を貪欲に追い求めるなら、チームを自前で揃えることが第一だ。それが無理ならば自分が指揮を執るべきだ。それも出来ずに暴言を吐くのならば、まず自分の行動力と勇気のなさを恥じろ。
死体撃ち
死体撃ちとは
FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)のオンライン対戦で、倒した相手キャラクターの死体に、さらに銃撃を加えることを意味する語。マナー違反や挑発行為として捉えられることもあり、ゲームによっては運営者への通報の対象となることもある。
weblio辞書
もちろん、互いの了承が取られている場合には、思う存分やってくれて構わないのだが、赤の他人にやるのは意味が分からない。コミュニケーション能力と人格に問題を抱えていることに間違いない。
死体撃ちは文化という意見もあるが・・・・
そもそも死体撃ちをする必要は何一つとしてない。全くもって無駄である。「日本が特殊であり、死体撃ちの文化が許容されていない。」という意見もあるが、海外勢のストリーマーやキャスターも死体撃ちには顔をしかめていることが多い。
当人にとっても、そこまで必要の無いことなのに、大多数が不快になると分かっていてやるのは他者への共感性が少ない異常者である。自分さえ楽しければいいのだろうか?
「死体撃ちに美学や信念を持っているから、それでもやりたい。」と言うならば、ガイドラインに禁止と載っていない限り、止める権利を私達は持ち合わせていないだろう。
その代わり、槍玉に上げられ、SNSや掲示板で叩かれたからといって文句や泣き言を垂れるのは、見当違いの超絶ダサい行為であることは認識しなくてはならない。
余計な事をして叩かれ、そこに追い打ちをかける様にSNSや掲示板で攻撃される。これは「ゲーム外の死体撃ち」と言っても過言ではない。これを否定することは自分の美学や信念を否定することになるだろう?
「責任は持てよ。」ということだ。因みにそういった印象の悪さは、案件など仕事を減らす原因になることも忘れてはならない。
結論
結局のところはやらないに越したことはない。また悪質なゲーマーの同調圧力によって、死体撃ちを咎めるのを躊躇させるような風潮も止めるべきだ。
途中抜け
回線不良やチーム内に悪質な行為をする輩がいた時は仕方がないが、勝てなそうだから、思い通りにいかないから抜けるというのは、あまりにも幼稚である。
最近のチーム戦の場合、基本的に1人に抜けられるとほとんど勝てない。こうした途中抜けは、他のプレイヤーにも迷惑がかかることからペナルティーが設けられていることが多い。
「途中退出のボタンがあるんだから、抜けることはタイトルが容認しているじゃん。」という意見もあるかもしれない。
でもその機能は、勝てなさそうだからと言って逃げることを想定したものではない。のっぴきならない用事がある者や同じチームメイトから悪質な嫌がらせを受けた者の為にあるのだ。
また、全タイトルペナルティーは実装するべきだと感じる。間違いなく、ペナルティーがあるなら不用意な途中退出は減るからだ。
全てに関わる「悪の同調」
こうした暴言、死体撃ち、途中抜けが増える背景には「悪の同調」が存在している。
「このタイトルは民度が元から低いから何を言ってもいいや」「他の人もやってたから」などを言い訳に、自分の非道な行いを正当化する輩が多過ぎる。(こう言った類が基本的に「死体撃ちは文化」と言っている)
良いことと悪いことの判断を大多数に任せっきりなのだ。殺人が多発している地域では、殺人をしてもいいと言っている様なモノだ。
小学生でも分かる簡単な解決策
よく聞く「自分がやられて嫌なことは他人にもしない」ではない。これは、「自分が嫌と思わなければ他者に何をやってもいい」と拡大解釈する輩が多いからだ。
求められるのは、「他者も楽しめる様に心掛けること」だ。
「何でわざわざ他人にそこまでしてやらなくてはいけないんだ。」と思う層も一定数いるだろう。
何故なら、ゲームが開発されたこと、プレイヤーがいることなど、現状の「楽しさ」は他人がいることで初めて成り立っているからだ。裏を返せば、自分の楽しみ為だけにバッドマナーに走ると、結局のところ民度の悪化により、プレイヤー数は減り、タイトルの終了という形で楽しみは奪われる。だから、「他者も楽しめる様に心掛けること」は必要なのだ。
終わりに
やはりゲームは皆が楽しめるモノであるべきだ。その為に他者の「楽しみ」を思いやる。これは当然のことだ。
そして勿論、他者を不愉快にさせて得る「楽しみ」が含まれることはない。